・・・ともいえる。
ともいえるというか、
これ自体が諸悪の根源だ。自分の都合のいいように
解釈するのだから、他人の都合などおかまいなしと
いうことになる。
自分にとって、
「こいつは俺に惚れてるぜ!」と信じたいときは
そう信じるために
「だってこっちの話を真剣に聞いていたし、
興味がなかったら適当に聞くはずだから」とか
たったそれだけのことでもポジティブに考える。
真剣に聞いてたら自分のことが好きなんだ!
という安易な考え方。
「真剣に聞いていたかどうか」もちゃんと
解釈できていないときもあるのに。
ただの自分の色眼鏡で捉えてしまっているから、
相手が適当に流していても真剣に聞いてくれた!
なんてプラスに考えてしまう。
事実をとにかく見ていない。
事実を脚色する。
それが自己愛性人格障害。
被害者になりきったほうが都合がよかったら、
そういう風に事実をまた脚色する。
「あんなに真剣に話を聞いていたと思ったら、
フリだったのか。
他人を陥れるための。
だったら最初から思わせぶりな行動すんなよ。
どうせそうやって誰にでも尻尾振ってるんだろ」
・・・・って感じで。
そもそもそれは事実じゃない。
思わせぶりな態度をとった、というのは
自己愛性人格障害者の勝手な印象だし、
その印象をもう間違いようのない事実みたいに
感じてそれをまた言ってしまうのが自己愛性人格障害。
現実に起こったことのように感じてしまう。
その事実と、実際の事実が全然違うからややこしくなる。
自分の都合のいい解釈っていうのは、社会に譲歩しつつ、
自分の世界も見る、ということで初めて
通用するんじゃないか。
社会のことも、コミュニティのことも、他人のことも考えずに
自分だけの都合のいいように解釈するっていうのは
病的でしかない。
自己愛性人格障害者が自分が傷つかないために
事実を変えているだけなのに、
自分の都合しか考えられないだけなのに、
相手が「こいつはこっちの都合も考えない」
ということだけを切り取って攻撃する。
世界は、自己愛性人格障害者のものだけではないのに。