没個性的な自己愛性人格障害者

自己愛性人格障害者は、

「自分は個性あふれる人間」というアピールを

しがちになる。

というか、主張がいつのまにか意見の押し付けになって、

その意見の押し付けが自己愛性人格障害者にとっては

「個性の強さ」「信念の強さ」になって、

意見を強く言えば言うほど・・・いやその

声がでかければでかいほど、

意見が奇をてらっていればいるほど、

あるいは正論であればあるほど、

自分の言っていることは正しく、

自分の言っていることだけが正しく、

それをいえる自分すごい、個性が強くて唯一無二の

存在だ!

みたいな勘違いにどんどん進んでいく。

本来、その考えはどっかからか持ってきたコピーだったり、

それを自分の人生のテーマだとか自分だけのとっておきの

アイデアだとか思い込んでいて、

自分以外のアイデアは聞く価値もない、

没個性的な意見しか出せないみたいな認識になる。

なんで自己愛性人格障害者がそこまで「個性」にこだわる

人間なのかというと、

他人のコピーだったり他人の意見、名言を取り入れてまで

「そういう人間」になりきらないと、

自己愛性人格障害者こそ没個性が目立つ人間だから。

その自分の没個性に耐えられずに、

そんな自分が憎すぎて、生きていけないから、

そういう自分を押さえつけながら、

個性のある人間を演じないといけないから。

個性っていうのは

「他人と違う特性」であって、けれど

自己愛性人格障害者は自我が発達してないから、

他人と違う特性なんか持つ前に、自分自身は

無意識の中に押し込めて、出てこれないようにしてしまう。

そうやって劣等感を自分からも隠し続けて、優位に立つ自分だけを

重宝する、それ自体が人格になっちゃってるみたいなもんだから、

このパーソナリティ障害を持てば、みんながみんな

おんなじような形式の行動しかとらなくなる。

だから、自己愛性人格障害者は、「強い個性を持ったようにみえる」

没個性の人間だってこと。