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モラハラをやめるかどうかは、加害者の課題

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被害者の課題が「相手のモラハラをなくしたい」

「自己愛性人格障害者から立ち直って欲しい」だとしても、

自己愛性人格障害者にとってそれが自分の課題だと

感じれるかどうかはまた別。

だって、そんな課題を課題とも思わず、

目をそらしたいのが自己愛性人格障害者なんだから。

被害者がいくら泣いてわめいて

「どうしていつも暴言をやめられないの?!」と言っても、

「お前がそうさせるからだろ!!

自分は本来こういう人間じゃない!!

お前こそ改めろ!!」

という回答が返ってくるのがオチ。

だって、こういわれれば

こう返す、というのがもうモラハラのプログラムみたいな

もんだから。

たとえばターゲットが逃げ出そうとしていて、

それを引き止める必要があるなら。

「もう二度としない」

「自分は病気だ。治療する」

という答えを自己愛性人格障害者は言うかもしれないけど、

それは被害者が「この人のモラハラを

やめさせないと!」

という課題の横取りをした結果、そう言うだけ。

「私がやめさせないと!」

違う違う。モラハラをやめられるかどうかは

自己愛性人格障害者自身の問題だから。

被害者は「被害者」をやめないと。

そう、被害者は被害者でいることをやめないといけなくて、

それが課題なのに、その課題をほっぽいて

自己愛性人格障害者の「モラハラをやめさせないと!」

ということだけにムキになる。

そこを自己愛性人格障害者に突かれる。

「ほら、やっぱり治らないじゃないか!

お前がちゃんと支えないから!

いや、お前がちゃんと支えないどころか、

お前がこうさせているんじゃないか!

お前がおかしなことばかりするから!

いや自分が病気なんじゃない、お前が病気なんだ!」

被害者は、自分の課題を履き違えているせいで、

それを真に受ける。

いやいや、モラハラをやめられないのは

モラハラ加害者が選んでいることです。

被害者がモラハラを治すことにムキになるのはいいけど、

それは自己愛性人格障害者の自由です。

良いか悪いかは別として、やめるかやめないかは

自己愛性人格障害者の自由なんだもの。

いくら自己愛性人格障害者が

「いや、今度こそ大丈夫」と言っても、

それを簡単に破れる自己愛性人格障害なんだから。

被害者の課題は、「自分がいやな思いをし続ける」今の

現状をどうにかすることであって、

「いやモラハラをなくすしか道がないの!」っていう

現状にしがみついててもどうしようもないって事。

だって、被害者がそばにいる限り、

「モラハラをなくす道」どころかモラハラを発展

させる道しかないはずだから。

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