例えば、自堕落な生活を送っている子供と、
それを「本当にダメな子ね」とぶつぶつ言いながらも
支え続ける母親がいる。
これこそが共依存の典型例で、
自己愛性人格障害者と被害者もまさに共依存の関係にある。
自堕落な生活を送る子供は、親を支えにして生きている。
親からもらう食事で、親からもらうお金で、自分の生活を保っていく。
子供は親に依存している状態。
そんな子供を「もう、ダメね」と言いながら世話をし、
「ちゃんと外にいかないとダメだよ」
「ちゃんと勉強しないとダメだよ」
「ちゃんと・・・」と言っておきながら、
外に出なくても済むように世話をする。つまりそういう世話やきを、
自分の仕事だと思い込んで子供に依存している。
ダメね、と言いながら、「そういう子供じゃないと困る」。
しっかりして、自立しているような子供だと
依存できないから困る。
なぜなら、頼られることで「私はいないといけない存在」という
考え方ができるから。
ダメね~と困っているふりをしながら、
依存されること自体に喜びを感じている。
そして、母親が進んでそうすることで
子供はさらに自堕落な生活を送っていく。
さらに母親は甲斐甲斐しくお世話をするようになる・・・
という悪循環。
自己愛性人格障害者も一緒で、被害者に依存する。
責任をとってもらうために、余計な手間を引き受けて
もらうために、悪い自分を投影するために。
そして被害者は被害者で、自己愛性人格障害者が
手間に思うことを自分で察知してせっせとやってのける。
困る困ると言いながら、実際、自己愛性人格障害者が
自分に依存しなくなったら、執着しなくなったら、
それはそれで寂しいと思うのが被害者の特徴。
けれども被害者は母親ではないから、いつか限界がくる。
自己愛性人格障害者と共依存の状態ではどうしようもない
未来が待っていることに気付く。
そこからが、被害者の本当の勝負。
そこで負けたら、一生被害者のまんま。
そこで勝ったら被害者という立場から、その人が選んで
脱出したことになる。
自己愛性人格障害者と被害者の共依存の悪循環は
被害者側からでしか切れない。