他人のプライバシーなんかない

自己愛性人格障害者というのは、

自分と他人の境界線が曖昧。

自分は自分、他人は他人という感覚がない。

それは自分というものが確立していないから。

精神的に自立もしていないから。

「自分は自分です。他人とは考えが違います。

他人の考えは完璧に知ることができません。

自分は自分の都合があって、相手には相手の都合と人生があります」


・・・と言えるのは正常な発達をしてきた人たちだけ。

精神的な発達にしくじると、父親とか母親から自立できない。

母親と分離できない。


母親が子離れできなくて、

子供に対してどこで何をしていて、何を持っていて何を捨てていて、

何を考えているのかを一つ一つ知りたがる、あるいは知る権利があると

思っているのと同じで。


自己愛性人格障害者にとって

他人が近くなれば近くなるほど、それは「他人ではなく、

自分自身」とでもいうようになんでもかんでも知りたがる、

知る権利があると思うようになってくる。


さも自分のテリトリーなんだから当たり前、というように。


恋人がいたとする。

恋人のスマートフォンをすぐのぞき込む。

あるいはスマートフォンを見せるように要求する。

拒否する権利は相手にはない。

勝手にのぞき込まれたからと言って、相手が怒る権利もない。

「のぞきこまれてそんなに怒るなんて、

やましいことをしている証拠だ」という考え方しか

出来ないから。

けれど自己愛性人格障害者は「別に、強制している

わけじゃない」とも話す。

けれど見せないとそういう風に自己愛性人格障害者自身が

不快になりキレるということは、

結局強制しているのと一緒。

スマートフォンならまだかわいいほう。

相手の部屋、ごみをあさる、そういうことも平気でやる。

それは、自分が欲しい情報がわんさかそこにあるから。

自分そのものの情報のように感じるから、

気が咎めない。

自分の情報を確かめようとしているだけ、そして自分の情報だからこそ

確かめないと気が済まない・・・という感覚で。

それは間違いなく、他人の個人情報なのに。

他人の領域には踏み込んでいけない、なんてモラルよりも

知りたい、知るべきだ、相手は教えるべきだ、開示するべきだ、

という強烈な感情に突き動かされて

自己愛性人格障害者は今日も他人のプライバシーを侵していく。