モラ夫はよく、私に
「お前だけは信じているから」「味方だと思っているから」
ということを言っていた。
今はいないけど、昔いて会社をひっかきまわしてた
モラハラ同僚も「敵か味方かちゃんとかぎ分けないと
いけないよ」って何度も周りに言って回ってた。
自己愛性人格障害者は、自分自身もいい部分と悪い部分に
分かれているから、
他人もそうなんだと思っている。いい他人か、悪い他人。
自分のことをからかおうものなら、
自分を馬鹿にする悪いやつ。
こういう人は一生、自己愛性人格障害者の恨みを買う。
つまり、敵認定される。
けれど、自己愛性人格障害者にとってはターゲットもさっさと敵になる。
つまり、モラ夫にとっての私も、味方なんかじゃなくて敵。
自分の言うことを(わざと)聞かない、
自分を馬鹿にする敵。
裏切るなよ、という意味だったんだろうけど、私にとっては
自分の思い通りに、自分の人生を楽しむことでも
相手にとっては「俺がいかに不幸であるかを見せつける」
「不幸な俺を放っておいて自分だけ楽しんでいる」行為でしかない。
それが自己愛性人格障害者のカンにさわる。
自己愛性人格障害者にとって味方というのは
自分の取り巻きや自分にとって都合よく働いてくれる、
自分の思想に共感してくれる、反抗しない人。
つまり自分がないひと。自己愛性人格障害者に流される人。
彼らにとって、そういう人間か否か?ということしか
他人を判断する基準はない。
すべてが自分中心だから、そういう判断しかできないし
そういう判断だけで人生を渡り歩いていくのに事足りる。