自己愛性人格障害者のモラハラ対策のためのサイト

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劣等感の塊。

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モラハラ思考の大元は、劣等感の塊。

なんでもかんでも劣等感。存在自体で劣等感。

小さいころから存在自体に価値がないと思わせるような

監護者の態度で、自分は本当に価値がなくて、害しかうまない、

人に不快な想いしかさせない人間なんだという

自覚しか育たない。

その劣等感の積み重ねが、いつしか「自分が存在しているだけで罪」

というような感覚になる。


けど、モラ加害者の人間としての生理的現象で、

自分を守らないといけない。けど、生きているだけで

存在しているだけで人の迷惑になるんだ、自分は悪なんだという

感覚は抜けないから、

そういう人間を精神的に生かしておくにはもうモラハラ思考しかない。

すべて自分の責任なんだ、っていう罪悪感から逃れるために

すべては他人の責任なんだ、って思い込むシステムを発動させる。

そのシステムに頼りながら生きていくことで

自分はノーダメージで済む。

自分は価値がない→自分にしか価値がない。

自分は生きているだけで罪な存在→自分は生きているだけで

他人に有益な存在。

自分は才能も何もない→自分には才能しかない。

そう思い込めば、それが自分にとって真実になれば

問題なく生きていける。

他人のせいにしてしまえば自分は責任を引き受けずに済む。

そういう考えは現実とはかなりかけ離れているし、

責任から完全に逃れようとすればするほど責任がのしかかって

くるんだけど、そんなのモラハラ人間には関係がない。

「自分のなかで」「自分には責任がない」と思えることこそが

心の均衡を保つ上で何より重要なんだから、

それさえできれば他人が責任だどうのこうのと騒いでも

どうでもいい。

自己愛性人格障害者からしたらそういう人達が自分に責任を

押し付けてこようとする、悪いアホな人間なだけなんだから。

人は、劣等感を隠そうとする。

他人から隠すだけならまだしも自分の中の感覚からも

隠そうとする。

劣等感をまるで感じていないような態度をとることもある。

本当は誰よりも気にしているのに、気にしていないかのように。

それは、劣等感というのは感じている時点で恥と直面しないといけないし、

ものすごく不快なものだから。

ある部分だけに劣等感を感じると、その部分だけを隠そうとするけど、

自分の存在価値に対して、自分そのものに対して劣等感を

抱いていると話は違ってくる。

自分って本当は価値がなくて、人と比較して自分そのものが劣っている、

自分の一部分が何か劣っているだけでなく、

自分そのものが他人に負けている・・・と感じると

心が生きづらいから均衡を保つために

「価値のない自分」から目をそらそうとして、

「どのような自分だと思い込めばラクに生きていけるか?」

という考えにシフトする。

劣等感まみれの自分を隠すことも必死になるし、

それに勝る価値のある自分というものをいかに演じて、

価値のない自分に上書きするかということに

必死になる。


自己愛性障害者はこれがあからさまになるけど、

被害者もどっこいどっこいの部分がある。

価値のない自分から目を背けるために恋愛する。他人の世話を焼く。

そういう人は、自己愛性人格障害者の愛を獲得するために

必死になる。

劣等感から目を背けるために、愛される自分というものに

浸っていたいだけの人は間違いなくターゲットになるし、

ターゲットから抜け出せない。

そういう人は、愛を乞うために自分で自分を洗脳するから。


自己愛性人格障害者の劣等感の埋め合わせがモラハラ思考で、

被害者の劣等感の埋め合わせが「モラルと愛を必死に守ること」。

自己愛性人格障害者は自分の劣等感から目を背けるために

ひたすら他人のせいにする。

劣等感を抱く自分なんて微塵も自覚しない。そういう自分がいることさえ

自覚しはじめると、自分の頭の中で作り上げたモラハラ帝国が

崩壊を迎えるから。わざわざ生きづらい現実を歩く必要はない。

モラハラ思考だけが自己愛性人格障害者を守ってくれるのだから。

被害者にとっても、自分の劣等感から目を背けるためだけに

人に尽くそうとする。モラルを守ろうとする。

自分は道徳心だけは人一倍ある人間で、それだけでも価値があると

思い込みたいから、ひたすら「~しなければならない」

「人に尽くすことが、愛を示す証拠」だと考える。

それで、立派に見返りを求める。見返りなんか求めていないよ、という

態度をとっていても、人に尽くすことでそれ相応の評価をもらえることを

期待している。

劣等感自体は何か大きな問題を生むものじゃない。

けど強すぎる劣等感は確実に、人を恨むきっかけになったり、

その劣等感から目を背けるはめになる。

注目すらされない自分ということを無意識に自覚しているから

過度に注目を集めようとしたりすることもある。

他人は自分のために働いて当たり前、他人の都合なんて

おかまいなしに振るまう。

それが、他人や社会との摩擦を生むきっかけになる。

努力をすれば、行動をすれば劣等感は埋められる場合もある。

けれどそれは劣等感がそこまで強くない場合だったり

対処できるような劣等感の場合でしかない。

たとえば整形だったら?対処はできるけれど、それで満足できるとは

限らない。

「今よりも、顔が自分の理想的な形に変わったら」という

基準が自分の中にあれば納得いくだろうが、

自分の顔に劣等感を抱いているわけではない場合、

自分の中で大きな劣等感を抱えていて、それをただ

「自分の顔のせいだ」と思い込んでいるだけである場合は

自分の顔をいくらいじろうと劣等感は埋められない。

それと一緒で、劣等感が強すぎる人がいくら

間違った対処をしようと努力だけでどうにかしようとしても

コンプレックスは埋められない(コンプレックスを埋める、

という使い方は本来違うようだけど、これがピンとくることが

多いからこういう文法を使う)。


それに、コンプレックスが強すぎる人とかは幼いころに

親の関心を集めようとして、植え付けられた罪悪感を

努力でどうにかしようとしたけれど、

結局親とかの監護者にその努力さえ「そういうことじゃない」と

あしらわれたり無視されたりしていることのほうが多い。

一度不愉快になった攻撃者は、そうやってひたすら子供を

人格否定するから。

だから努力をしても意味がないと思うし、劣等感に対して

どう対処していいかわからない。

攻撃者の言葉というのは強力で、モラハラ加害者から受ける

モラハラも子供に対する支配も、まるでそれが事実かのように

他人は感じる。

「ああ、あの人がああいって怒っているから

こういう行動は人を怒らせるのだ」

「怒らせる自分のモラルのなさ」というものがまるで

事実としてあるかのように。それはモラハラマジックでしかない。

そうやって思い込まされることで、自分の劣等感というものは

肥大していってもう自分では処理しきれなくなってしまう。


基本的に、暴力自体そのものも

コンプレックスから目を背けるために大事な

行為の一つでしかない。

暴言暴力は、「もうしません」と誓うだけで

行わなくなるようなそういう単純な話じゃない。

劣等感があるから、それを隠す。そしてその隠した劣等感を

塗り替えるために優越感を持つ。

優越感を持つから、他人が自分のために動かない、

ちょっとしたことで大きな不満を持つ。

自分に対してちょっとでも不快にさせるような行為を

させることを嫌う。

パートナーに多大な期待を持つ。

その期待をことごとくパートナーが裏切るような感覚に襲われる。

そして、攻撃する。

攻撃自体も劣等感から目を背ける行為だから、

攻撃理由なんかなんでもいい。攻撃さえできればそれでいいんだから。

自己愛性人格障害者や境界性人格障害者がアルコールに依存するのも

そういう劣等感や不都合な現実、社会から目を背けるしかないから。

劣等感が強ければ強いほど、自分ではどう対処しようもなくなる。

その対処法でさえ間違っている気がするし、

その対処をするほどの価値のある人間とも思えなくなるから。

だから思考法で目をそらすか、自暴自棄になるしかない。

克服する価値すらない、と思い込んでしまっている状態。

劣等感が強ければ強いほど、快楽に溺れやすい。

そして、いちいちやることなすことに理由をつけ、

正当な理由をこしらえて、自分の思考と行動をがんじがらめにする。

自己愛性人格障害者がパターン化するのは

これが理由で、もう自動的なにこういう思考になってしまうから、

いちいち自分の行動を合理化して

他人に説明したりする。

劣等感が低い被害者・ターゲットも、これに似たところがある。

自分はただの被害者じゃなくて、望んで

自己愛性人格障害者と一緒にいるのだと、この苦労は誰にも

わからない、って意固地になる。

劣等感にまみれていると、生きづらい社会しか待っていない。

自己愛性人格障害者はモラハラ思考でどうにかする。

けれど被害者はモラハラ思考を持っていないから

ストレスをまともに受けるしかない。

劣等感は本来、そこまで肥大するものではないし

不健康に直結するものではない。

消せるものでもない。

そもそも人を動かす原動力になるはずの、有益なもののはず。

ところが劣等感が何者かによって

「お前は生きているだけで恥ずかしい人間」という風に刷り込まれて

それをどうにかしなくてはならないと右往左往する。

それは自己愛性人格障害者のターゲットになっていようと

なっていまいと一緒。

そもそもの劣等感は誰か他人に植え付けられたもので、

けれどもその劣等感はその本人がどうしようもないほど

強大になっているからこそ厄介。

自己愛性人格障害者はそんな自分から目を背けるために

ターゲットを選んで投影する。

より、投影しやすい人を選ぶ。

そして被害者もまた、自分の劣等感から目をそらすために

人に尽くそうとして、愛をもらおうとして、

自己愛性人格障害者の条件付きの愛を獲得しようと

あたふたする。

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