子供の父親が欲しいということは、
特に離婚してからとても強く感じることだった。
特に何度も何度も考えた。
父親を奪ったことに対する負い目、だったのだろうと思う。
自分の愛する人も欲しいというのもあったけれども、
結局それは、自分の依存体質ゆえの話。
自分が誰かを今愛することはできないだろう。
まだ、自分の被害者体質は治ってはいないということを
肌で感じているから。
それに、子供の父親になるべき人間は一人しかいない。
そう、自己愛性人格障害者のあの人間しかいない。
あんなどうしようもない人だったけど、結局、父親というのは
アレ以外なりえない。
けれども、あの人間との復縁ということは考えられない。
私は、この選択を後悔することはもうない。
未来になってみないとわからないことは多くあるけれど、
この選択を「こうしなければよかった」と思うことは
ない。
だって離婚を選択しなければ、自分は後悔していただろうということが
ものすごくよくわかるから。
夫のモラハラを受けながら、ああ、やっぱりさっさと
決断したほうがよかったんだと後悔しながら
生活するのが分かっているから。
私はそこまで我慢強くない。それが功を奏したとは思う。
ああ、あの人間が自己愛性人格障害者じゃなかったなら、
自分は一緒に乗り越えようとしていただろうか。
って、考えること自体が被害者体質なのかもしれないね。
でももう今は、子供の父親はもう誰もいないんだ、ってそう思う。
けれども、その代わりに・・・といっても父親の代わりなんて
誰もなりえないし、自分だって母親でしかないんだから
父親の代わりも!なんてことはできないんだけど、
自分の大切な人達に触れてもらいたい、より関わってほしい、
とは思う。
父親はどういう人間だったのだということは、
今はいえないし、この先しばらくは言えない。
ただ、子供がいろいろと受け止められそうなくらいの
成熟した年齢になったら、伝えよう。