ターゲットになるような人は、
みんなそう思っちゃうんじゃないか。
「自分の事を好きすぎて、逆におかしくなっちゃった」とか
ものすごい都合のいい考え方だよね。
すごい認知の歪み。
「本当は愛情深い人なんだけど、愛情表現が
うまくできないだけなの!」
っていう解釈。そしてそれを
「唯一、理解してあげられるのはワタシ。」
「そう、ワタシだけがこの人の痛みを分かってあげられるの!」
ていうことだよね。きっと。たぶん。
この感覚がまず重要なんだよね。この感覚を得るために
わざわざターゲットにまで成り下がってる人って
多いんじゃないのかなあ。
少なくとも私はそう。
モラ夫との出会いから交際まで、相当な「この人、いったい
どういう人なんだろう?独特すぎてわかんないよー」
という感覚と一緒に
「でもこの人は私をとんでもなく好いていてくれる
みたいだから、私も理解してあげたい!」とかいう
感覚がウワっと沸いてでてくるような。
「こういう人にまで、慈悲深いワタシ」みたいな感情を
私は得ようとしてた。
そういう人間になりたくて。
人を嫌いになんかなりたくなかった。
この人のことニガテなんだねー。とか思われるのも
嫌だった。
だから、ニガテな人間ほど好きを装う。こういうものも
反動形成っていうの?嫌いなのに好きって信じたりすることも?
嫌いな感情を回避することも?
とりあえず、攻撃するってことはその人が
嫌いってこと。いくら装うとしたって攻撃性が
表れちゃってるだけなんだと・・・思う。
呪縛から逃れた今だからこそ考えられるだけだけど。