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完璧主義を治したい?

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完璧主義な人間は完璧主義さえも完璧に治そうとする。

もうそこですでに、半分・・・・・いや、全部つまづいていると思う。

そういう思考だからこそ完璧主義になってしまっているし

そこから抜け出せない。

完璧主義を治さなければ!っていうドツボにはまるっていうか。

ミスが許せない。自分のミスが許せないから他人のミスも許せない。

いや、自分に関わる他人のミスが許せないって思っておいたほうが

いいのか?

許せないというよりは、口で「いいよ」と言いながら

態度でめちゃくちゃ表すような感じ。

「いいよ」と言いながら「本当はよくないんだけどね。だって

それって人として・・・」と言いたい感じ。

いや、自己愛性人格障害者のことを非難しているけど、

やっぱり完璧主義だとかそういう部分はやっぱり

ターゲットになる人も似ている部分があると思う。

いや、けど明らかにあからさまに気弱そうな人っていうのは

それさえも言えないんだよね。

非難する心はあっても、それを自分で諫めていたり

否定し続けたり心の中に押し込めたりしてうつ傾向になっていくのかな。


うつだって、攻めるエネルギーが他人に向くか自分に向くかって

ただそれだけの違いなんだと思う・・・・。

他人への恨みつらみを、他人に向けられないから

自分に向けちゃう、他人に言えないからもがいちゃう人も

いるんじゃないのかな。


完璧主義は、他人からどう思われているか気になるから

完璧主義になるのか?


他人からどう思われているか?っていうのは

ひたすらに気になる。自分が他人をどう思っているか?

というところにフォーカスしたほうがいいのかな。

だって、他人からどう思われてるかは自分じゃどうにもならないものね。

ただ自分じゃどうにもならないのは当たり前なんだけど、

その評価を操作したいと思うのも、人間だよね。

「自分が完璧だと思われたいなんて驕りだ」ってそりゃそうだと

思うんだけど、けどそれで傷つくことがどうしても怖いんだから、

結果的にミスが恐ろしかったり、それに対する評価の低下が

怖かったり。

評価が下がることなんて何も怖くないわ!とか

そんなところまで完璧を求めてた自分もいたわけだけど。

そこまで超人ではないと今、気づいて。


理想だけは果てしなく高くなる。

理想というか、夢物語。

幻想の中で敬われる自分を目指していた。

そして、理想が高けりゃ現実がずどーんと目の前にやってくるから、

その現実が自分をさらに苦しめる。

自分はもっともっと高い位置を目指さないとと思っていた。

けどそれが、結果的に何も生み出せなかった。

プレッシャーしか生み出さない。完璧主義はプレッシャーが生きてるだけで

かかるから(だって毎日毎日理想を追って、理想に届いていない

現実の自分が毎日やってくるから)、

より、ストレス解消しまくらないといけない。

で、うまくストレス解消できずに、ストレス。

どうやったらこのストレスが「完璧に」すっきりできるのか

分からずに、結局ストレスまみれになってまた

それがストレス。

なんでこんなに生き急がなくてはいけないの?

なんでこんなに不幸なの?ってそればかり。


親から見捨てられた覚えはないけれど、

かといって愛情をもらえた覚えも多分、

ものすごく小さいころにしかない。

父親はなんかよくわからないような虚栄心に満ち満ちた

人だったし、母親は母親で子供を育てるよりも女でいることを

選んで、自分がいかに楽しめるかを選んできた人だった。

こどもが小さいうちはかわいいけど、大きくなってきたら

放任主義だったり自分の仕事のことで利用しようとしたり。

なりふり構わない人だった・・・・と思う。

今でもそう、母は自分のか弱い子供を愛する能力はあっても

個人を愛する能力はない。

ところが、母親自身はそうは思ってない。完璧に子育てを

こなしたとそう思ってる。

ただ、うまくコントロールできない子(兄)だけ失敗だったと・・・・

そう思っていると思う。


完璧主義で劣等感満載な私だけど、私よりも「劣等感にまみれた完璧主義」の

人物がいた。

一人は父親。一人は元夫。

一人は、兄。

母親も、「うちの子は病院になんかいったことないの」と他人と話すときの

口癖だった。いや、兄弟も私も手術も経験している。

私と同程度くらいの完璧主義だとは思う。

次男は、人生の途中から動物愛護に必死な人だった。

思想だけは完璧だった。犬を飼っているならこうしないと、

ああしないと。この動物はこうでああで、その、末路は・・・・・。

そう言っている兄自身は、酒に飲まれてどうしようもない人だった。

行く先々でトラブルを起こす。

動物を飼いたいといいながら、自分自身の世話すらできない人だった。

お酒に飲まれすぎてもう亡くなったけれど。


母はこう言っていた。

「あの子は、幼いころにちやほやされすぎて・・・」

「あの子の人生は失敗で・・・・あの時ああしなければ、

ああいう交友関係を持たなければ・・・」


私が思うに、兄は劣等感にまみれた人だった。

ちやほやされすぎたというよりは正しい愛情を貰わなかったんじゃ

ないか。

兄はスポーツ万能で、いわゆるファンクラブができるほどの

人気ぶりだった。

けど“そういう脚光を浴びている自分”が評価されているだけであって、

そうでない自分は評価されないということを

分かっていたんじゃないか。

ちやほやされたことが問題なんじゃなくて、

そういう人間じゃないと目を向けなかった親が

問題なんじゃないの。

交友関係のせいではなくて、そういう親だったから

そういう結果になったのではないの。

もっと深くいうなら、「そういう親のせいにしたい」というほど

肯定感を得られる機会がなさすぎたんじゃないの。


交友関係のせいにしちゃう、そういう親だから。

親は兄に厳しかった。そして兄は、親に理解してほしかったけど

どうしても理解してもらえなかったから余計に

反抗的になった。そして、親はさらに兄に厳しくなる。その繰り返し。

兄はよく言っていた。「こんな兄でごめん」。

ストレスを手っ取り早く除きとるのに、

酒はすごく都合がいい依存対象だったんだと思う。

酒で体調を崩した兄が、必死に動物愛護を語る。

それに疎い私を叱る。

それを聞きながら、ぼんやり考える。ああ、この人は

少し前の私と同じだ。と。

少し前のと言いながら、私はただその「完璧主義」と「思想」が

自分を守るために起こっているだけなんだと気が付いただけで、

その完璧主義から完全に抜け出したわけでもなく、

むしろまだ完璧主義の奴隷みたいになっていた。

完璧主義は、ものすごく効率が悪い。完璧にできないのが

人間なんだから絶対自分のお眼鏡にかなう自分は得られないのに、

それでも自分の心の弱さから自分を守ろうとして

完璧主義(ミスをする自分を許せない)になる。

そして自分を許せないから、兄が私を動物愛護の観点から

無知を責めるように、私も周りの人間に対して

「なんでそんなことも分からないんだ」と責める心が

生まれる。

かといってそれを人に言えないこともストレスで、

さすがに言わなきゃ。と思って

言ってしまってもストレス。もう八方ふさがり。


完璧主義は何のメリットもありません。

合格点程度を目指しましょう、なんて言葉は自分にとってムダでしかない。

それがとんでもなく100点満点に近い解答なんだけれども、

その文章と自分の思考のクセがあまりにもかけ離れすぎていて

現実的じゃない。


もうすぐ、チームで関わるプレゼンテーションもある。

そしてまた私はわけのわからない完璧主義を発揮するんだろう。

この「完璧主義」を思考のクセを変えることでどうにかしようと

思っているのがまずおこがましいのかもしれない。

じゃあ、それが起こる“劣等感”からどうにかしろっての?

今からプレゼンテーションの期限までに?ハハハ!

・・・ていう極論にすぐいっちゃうのも、なんだかなあ。

うーんそうなるともう、

「完璧主義なんか治るわけないだろ」という結論に

たどりつくしかないんだよね。

治そうというその試み自体が完璧主義の表れなのかなあ。

完璧主義なんてだめよ!ほら今完璧主義でてた!ってもはや

言葉遊びの領域だよねすでに。

完璧でありたいということは、それだけミスに対応する

心がないっていうことなのかもしれないし、

そういう心がないって思い込んでいることかもしれない。

つまり、そういうミス回避みたいな精神がしみついていて、

ミスをするかもしれない!っていう場面だともう心臓がバクバクして

交感神経が勝手に優位になって戦闘モードに突入するだけなのかもしれない。

そのこと自体を不快に思ってしまって、その不快さを取り除こうと

しているだけなのかもしれない。

だって、居心地が悪い。

その戦闘モードを、うまく利用するしかないのかな。

その戦闘モードをまず、深く観察するしかないのかな。

不愉快極まりないんだけど、不愉快極まりなさをかみしめるしかないのか。

そこから逃げようとするストレスが、さらにストレスを増幅させるんだろうか。

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